LOGIN「フィロメニア。ちょっと寮の中を歩き回ってきてもいいか? 建物の作りも知っておきたいんだ」
持ち込んだ物の荷解きも終え、学園生活の準備も一段落した昼過ぎ。
俺はフィロメニアの紅茶を入れ終えると、そう声をかけた。ここは俺にとっては未知の場所でお屋敷とは違う。
お屋敷なら目を瞑っていても目的の場所にたどり着ける自信はあるけれど、この建物で何かあった場合に備えて色々と調べておきたいのだ。 「構わんが問題を起こすなよ」 「そんなに信用ないかな……」 「用心しろという意味だ。私たちは敵が多いからな」まぁ……それもそっか。
ここが王家のお膝元とも言える学園といっても、神殿に肩入れする貴族の子も通っているはずだ。
そうでなくとも国内で強い影響力を持つラウィーリア公爵家は、常に下から突き上げられる機会を狙われている。 そんな政治的な派閥争いの場でもあるのが学園という場らしい。貴族主義ってめんどくさいな……。「じゃあ、鍵は閉めとくから、何かあったら呼んでくれ。セファーも教えてくれると思う」
「姿の見えぬ存在に見張られているのもいい気分ではないな」 「見えてる方が鬱陶しいと思う」俺はそうしてしっかりと戸締りをして、寮の廊下へと出た。
すると早速、セファーが俺の頭の周りを飛び回る。 『鬱陶しいとは失礼だねぇ』 『事実だろ。――……ヒロインの部屋が知りたい。難しいかもしれないけど、明日出発する時間もずらせばフィロメニアにぶつからないかもしれないだろ』 『ふぅん。なら我も色々と見て回ろう。なに、君の主人もちゃんと見守っておくさ』セファーはそう言うとこっちの返事も待たずに廊下の奥へと飛び去っていった。
相変わらずのフリーダムさに呆れる。それを見送って下の階へ降りると、廊下に響く喧騒が大きくなった。
「早く運びなさいよ! このウスノロ!」
「用意しておけと言いましたわよね!? なぜ持ってきていないのです!?」 「ねぇ! 喉が渇いたんだけど!」さすが貴族の集う学生寮というべきか。
偉そうに文句を言う声が聞こえてくる。 もちろん生意気でプライドの高い生徒ばかりではないとわかってはいるものの、社交界やお茶会で上品振っている娘たちが口悪く使用人を罵っている声を聞くと頭を抱えたくなった。俺はこれ以上、気分が悪くなる前に最下層の階を目指す。
ヒロインの部屋のだいたいの当たりはついているからだ。
なぜなら彼女は田舎出身の平民。 魔法の才能を見出されて入学を許されたとはいえ、与えられるとすれば条件の悪い部屋だ。物語序盤、初めて一人部屋を持てたことに喜びを感じていた主人公だが、視点が違うとこうも感じ方が違うものかと身分の格差にうんざりする。
家具を運ぶ業者を避けながら階段を下り、部屋の並ぶ廊下にたどり着くと、俺は足を止めた。
「それでは、明日は遅れないよう入学式に向かってね」
「は、はい! 頑張ります!」 「気苦労は絶えないかもしれないけど、貴女には才能があるんだから大丈夫よ」 「はい……!」 ローブを着た女性に、栗色の髪の少女が色々と言い含められている。 あの髪色――あれがヒロインだ。名前は【シャノン・コンフォルト】。 この世界で唯一、【他者を癒す】魔法を使うことができる存在だ。ファンタジー系のゲームでは傷を治癒したり、肉体を強化したりする魔法などいくらでも登場するだろう。
けれど、この世界のそういった魔法は基本的に他者には効かない。 どうやら人の魔力というのは各々に異なり、他人の魔力というのは弾かれる性質があるらしい。 それは攻撃魔法に対しては防御の役割をするものの、治癒や強化の魔法には邪魔になる。けれど、そんなことは魔法の才能に乏しい平民の村では知られていないため、ヒロインはこの歳まで自分の持つ特性に気づかなかった。
それを偶然、国に見出されたため彼女はこうして学園に通えることになり、その力で攻略対象をサポートしていく。 ストーリーとしてはそんな流れだ。 あのローブを着た女性は【マリエッタ】だろう。物語を進めるにあたって必要な知識を教えてくれる――いわゆる進行役として出てくるキャラクターだ。 この学園の教師であり、ヒロインを気にかけてくれる担任の先生だが、直接物語に絡んでくることはない。 ゲームでいえば最も序盤のシーンとなるだろうか。 学園での過ごし方など一連の説明を終えた直後といった感じだ。 けれど、そこに俺の知らないキャラクターがいた。 「何かあればこのサニィに言いつけてください」 「はい。よろしくお願いします。サニィさん」 「よろしくおニ……お願いします。シャノンさま」見事に噛んだな……。
どこか下っ足らずな口調の使用人服の少女が、ぎこちない動作で頭を垂れる。 その髪には黒いリボンがまるで猫耳のように結んであった。 たしかゲームではシャノンに使用人はついていなかったはずだ。 部屋の掃除も自分でしていたし、学園内での行事の準備も自分で行っていた。だからこそヒロインは様々な場面で苦労したり、攻略対象に助けてもらうはずなんだけど……。
「それでは、くれぐれも粗相のなように。ここは貴女のいた村とは何もかも違うから……」
「はい……」マリエッタは言い置くと、サニィを伴って廊下を歩き去ってゆく。
その様子をシャノンはほっと息をついて見送っていた。 そんな疲労が滲み出た横顔を俺が遠くから眺めていると――。「あっ……」
――目が合った。
離れていてもピンク色の珍しい瞳が綺麗に輝いていて、顔もそんじょそこらの貴族の娘よりも整っている。
ただ、俺を見た途端に再び現れ始めた――怯えているような雰囲気がそれを台無しにしていた。俺は何も言わずにその場で頭を下げる。
乙女ゲーをプレイしていればわかることだが、彼女はまだこの環境に慣れるだけで精一杯のただの少女だ。
田舎から連れ出され、学園に通えるという希望に溢れつつも、周囲の同年代は皆、住んでいた世界の違う貴族の子たち。 立ち振る舞いや常識も身についていない彼女は幼子に近い。彼女の心中は様々な感情で、さぞカオスなことになっていることだろう。
だから今は敵意も、関心もない風を装っておけばいい。
それが、俺にできる彼女への精一杯だった。遠くから会釈が返ってくる雰囲気と共に扉の閉まる音がして、俺は顔を上げる。
とりあえずは目的を果たしたけれど、改めてヒロインという存在を確認すると不思議な気分だった。
気がつくとセファーが俺の肩に降り立っている。 『あれが君の言うヒロインかい? おどおどとして、これから学園中を巻き込む大恋愛をかます人物とは思えないねぇ』 『色々あるんだろ。本人は大変だろうけど、山あり谷ありが恋愛の面白いところなんだ』 『ほう。恋愛をしたことがない君の言葉には説得力があるんだなぁ』 『こちとら恋愛に関しては見る専なんでな』 『生まれ変わってもそのスタンスを崩さないところには敬意を表するよ。それで――どうするんだい?』俺はセファーに横目で視線を投げた。
『明日の朝、あの子の様子を見て、俺に教えてくれるか?』
『便利に使ってくれるねぇ……。まぁ、協力してあげよう。覗きは得意だからね』そう言うと、セファーはまたどこかへ飛んでいく。
実際に俺以外からは見えないというセファーの性質は便利だ。
この先、学園で起こるイベントを受け流し、フィロメニアの運命を回避するには情報がとにかく必要だろう。俺はこの一画だけ扉や絨毯が安っぽいなと思いつつ、ヒロインの扉の前を静かに通り過ぎるのだった。
真っ暗闇な会場に、ふつふつと緑と赤の光が湧いてくる。 観衆の声は様々だ。 その始まりを待ちわびる声。初めて使うサイリウムに困惑する声。そして、舞台に立つ二つの人影に歓声を抑えきれない声。 そして、魔法で拡大された楽器の音が始まる。 同時に、スポットライトに照らされたのは――。《共に在る覚悟を問われれば答えは一つ。【汝、終焉において我が名を呼ぶのなら】 運命ですら捻じ曲げる意志を》 ――俺とフィロメニアだった。 この一ヵ月、必死に練習したステップを踏み、歌声に会場が湧く。 前に見た舞台のように、厳かな雰囲気などではない。 観衆は皆立った状態で、俺とフィロメニアが腕を上げて手を叩いてみせると、同じように前奏に合わせて手拍子が鳴った。 帝国で流行っているらしいポップな曲調だ。《決められた未来は訪れるのを今かと待っている。けれど抗うために星へと願う》 舞台は専用に作った特注のもの。 中央に円状の舞台があるのは変わらないが、それに至る橋が舞台袖から続いている。 俺とフィロメニアはその橋の真ん中で互いを意識しつつ歌う。《【それが朝であろうとも、常に星はそこにある】 物語はすでに始まっている》《【それが昼であるからこそ、常に星は見つけられることを待ちわびている】 流されそうになる運命の放流》《【それが夜であるならば、常に星は見つめてくださっている】 抗う力を腕に込め》 星典を引用した古代口語を含んだ歌詞は、この王国でも新鋭の音楽家に作らせたものだ。 発音が難しい部分があるが、俺の【模倣】は完全にそれをトレースすることを可能にしている。 ちょっとズルかもしれないけれど。 《いま突き出す拳を星空へ。明日の世界へ》 そしてサビへ向かって曲が盛り上がっていく。 観衆の熱が、ラウィーリア領製のサイリウムの動きとなって伝わってくる。 俺たちは中央の舞台へたどり着き
決闘から少し経ったある日、フィロメニアと俺は学園長に呼び出しを食らっていた。 俺は絶対に怒られるとビクビクしていたけれど、フィロメニアは涼しい顔で部屋に入る。 そこでは学園長が温和そうな笑みをたたえていて、とりあえず扉の横へと控えるように立った。 「久しぶりに良いものをみせてもらった。フィロメニア君」 開口一番そう言われ、フィロメニアはゆっくりと頭を垂れる。 「騒ぎを起こして申し訳ありません。学園長殿」 慌てて俺もお辞儀をするが、学園長は目を丸くして頭を上げるように言う。 「いや、すまない。皮肉ではないのだ。学園という揺りかごの中に長くいると、つい刺激に乏しくなる。正直に言って、愉快痛快といったところだった」 その言葉に部屋の雰囲気を弛めるように、学園長は椅子を回して体を斜めに向けた。 俺たちは顔を合わせる。 そりゃ俺たちにとってはまさに愉快痛快だったけれど、学園長がそう言うとは思っていなかったのだ。 フィロメニアは思うところがあるのか、眉をひそめる。 「失礼を承知で聞きますが、学園長殿はマリエッタの姦計に気づいていたと?」「彼女が好き勝手をしていたのは当然、把握していたとも」「ではなぜ止めなかったのです」 背を持たれて手を組む学園長に、フィロメニアは詰め寄った。 だが学園長は意に介していないように微笑みを崩さず応じる。「それがこの国の利となるか害となるか、見極めるに時間が必要だと判断した」「それだけですか? 遅きに失すれば殿下までもが神殿の思惑に取り込まれていました」「不満かね?」 俺にはまだその「思惑」とやらが理解できていないけれど、フィロメニアには面白くない状況なのはわかる。 言われた通り、不満そうな顔でフィロメニアが黙っていると学園長は続けた。 「……学園の成り立ちもそう単純なものではない。それにマリエッタ教諭の行動は問題だが、シャノン・コンフォルト
「ウィナちゃんッ!」「ウィナフレッド!」 その魔法の閃光が炸裂する瞬間、思わずクレイヴとシャノンは叫んでいた。 三人と三体の同時攻撃。 そんなものをまともに食らえば、いくらウィナとはいえ無事ではないだろう。 衝撃に舞う爆煙が晴れたとき、そこに倒れ伏せる少女の姿をクレイヴは幻視する。 だが――。 その煙の中から現れたのは、三対の巨大な光翼だった。 羽根のない、透き通るガラスのようなそれはゆっくりと羽ばたくと、視界が晴れる。 ――そこには二人の少女がいた。 片方の金髪の少女は目を瞑り、強い意志を感じさせる表情で、魔法の炸裂の前からも一歩も動かず。 そしてもう片方の緑の髪の少女は、後ろに向けて剣と腕輪を構え、悠然とそこに立っていた。 どちらも、キズ一つない。 相対する敵に出来うる最大の攻撃を受け止めたのだ。「ウィナちゃん……!」 隣でシャノンが安堵の声と共に崩れ落ちる。 だがクレイヴは、目の前の光景に畏怖を感じていた。 ――なんという力だ。 相手は実戦の経験の少ない学生とはいえ、その血脈に証明された才能ある家の者たちだ。 彼らが束になってもウィナを倒すどころか、一撃も入れられないとは。 見ればセルジュは頭を抱えてその光景を疑い、ファブリスは膝をついて呆然としていた。 ジルベールだけが、震える声でウィナに叫ぶ。 「て、てめぇは……!てめぇは何モンなんだ!? なんなんだてめぇはぁぁ!?」 問われたウィナは振り返り、ニヤリと笑った。 「公爵家のメイドだ。以後、お見知り置いとけ」 瞬間、彼女の左腕がわずかに光を放つ。 ウィナは大きく息を吸うと、それに伴って周囲の魔力までもが吸い込まれるように動いた。 そして、彼女の全力の咆哮が空気を震わせた。 「うああああぁ
「来たのか」 そう言われて、俺はこめかみを掻く。 偉そうなことを言っておきながら遅刻なんて、フィロメニアを失望させるところだった。 「ごめん、寝坊した。ちょっと道も混んでてさぁ。苦労したよ」 適当な言い訳を思いついたまま口に出すと、視界の横に目を見開いたマリエッタが見える。 だがフィロメニアはそんなことには関心も示さない。 代わりに、どこか懇願するような顔で聞いてきた。「私といれば、これからも同じようなことが……いや、これ以上の苦労が待っているぞ。それでも――」「――だからこそ」 そんな質問、俺の答えなんてわかっているだろうに。 けれど、思いは言葉にすることも大事なのだ。 名を呼べる距離にいても、手を握れる距離にいても、それは変わらない。 だから、俺はこの先も続くこの世界に対して言う。 「俺はそばにいるよ。フィロメニア」 返ってきたのは、零れるような笑顔と、名を呼ぶ声だった。 「ならば来い――ウィナ!」「あいよ!」 勢いよく答えると、腕輪が金属音を立てて変形する。そして、俺の体は風のような光に包まれた。 一歩ずつ階段を下る度、体に力が漲ってくる。 霊獣の姿となった俺を見て、決闘場はどよめきに包まれた。 俺は階段を下った先にいた知った顔へ笑いかける。 シャノンは姿が変化した俺に戸惑いながらも、涙でぐちゃぐちゃになった顔で近寄ってきた。 「ウィナ……ちゃん? 大丈夫なの……?」「シャノンこそめっちゃ目腫れてるけど大丈夫? ほい、ハンカチ。鼻水はかまな――かむなっつの!」 ズビーッと盛大に鼻水を噛んだシャノンに抗議すると、「ご、ごめん、洗って返すから……!」とか言っている。 当たり前だろ! 呆れているとそ
Detoxification Progress Status…… 98%…… 99%…… ……Completed Checking All System……All Green ……Sentitive Mental Reboot ……Ready …… ………… ……………… 気がつくと、そこは白かった。 眠りとは違う、なだらかな意識の浮上ではなく、スイッチのオフオンに近い感覚だ。 夢……? 『うん。だいたい解毒は完了したね』『……ん!? なんだここ!?』 セファーの声がして、俺は夢の中ではないことを理解して仰天する。 けれども現実でもないことを同時に理解していた。 視界はあるが、体がないのだ。俺の。 意識だけが真っ白な空間に漂っている。 すると、目の前にセファーが現れた。 いつもの妖精のような手のひらサイズじゃない。 普通の人間サイズのように見える。 色のない背景も合わさって遠近感覚が狂っているように感じて、俺はわずかな眩暈を覚えた。 『半覚醒状態というのかな。この状態で話す方が君への情報伝達に時間を取られないからねぇ』『なるほど、わからん』『じゃあ状況を説明しよう。君は今、学園の医務室で寝ている。看病についてくれているのは王太子のメイドだねぇ』 相変わらず人の話を聞かない相棒だ。 仕方なく俺は話の続きを催促する。 『決闘
「ウィナ……! 命令だ下がれ!」「おいおい。ここは使用人出入り禁止だぜ」 肩を掴もうとするフィロメニアの手を避け、ジルベールの睨みをスルーして、俺は観衆のド真ん中に立った。 俺がそこで深く一礼すると、それまでの喧騒が困惑の静けさに変わる。「僭越ながら皆様にお伝えしたいことがございます」 公爵家のメイドたるもの凛々しくあれ。 メイド長の言葉を胸に、喉を震わせると俺の声はロビーによく響いた。 こんな場所で声を上げれば、いくら俺でも心臓の鼓動が高鳴るのを抑えきれないだろう。 けれど、なぜか今は酷く落ち着いている。 「なんだなんだ?」「あれ、フィロメニア様の使用人でしょ?」 そうだよ。 俺は悪役令嬢の使用人。 場合によってはここにいる全員の敵になるかもしれない存在を主人にしているんだ。 「私、ウィナフレッド・ディカーニカは――我が主、フィロメニア・ノア・ラウィーリア様の霊獣にございます。故に代理人については不要。この決闘、皆様のお目を楽しませるものになるとお約束致しましょう」 周囲がしんと静まり返る。 そして、笑い声がそこかしこで上がった。「ははは! なにいってんだよあのメイド!」「使用人がでしゃばってくんなっつの」「フィロメニア様をかばってんじゃないの?」「じゃあ、あの小さい子が出てきて戦うの? いやいや、平民が魔法食らったら死んじゃうじゃない!」 反応は様々だ。 それでいい。その方が面白くなるだろう。 そんなことを考えていたら、フィロメニアに両手で掴みかかられた。 「ウィナ、お前はッ!」「なに? やり方が雑だからこうなってんだけど、なんか文句あるんですか? お嬢様?」 フィロメニアが言葉を詰まらせる。 彼女は腕力を強化しているのか、襟首を掴まれた俺は足が浮いてしまっていた。 正直







